あらすじ
孤独と向き合いながら生きる34歳のフリー校閲者・入江冬子が、58歳の男性・三束と出会い、心の交流を深めていく姿を描いた小説。冬子は人付き合いが苦手で、誕生日に真夜中の街を散歩することが唯一の楽しみ。ある日、カルチャーセンターで三束と出会い、次第に心を通わせる。二人の関係は、年齢や立場を超えた純粋なものであり、言葉や沈黙を通じて深まっていく。物語は、孤独や人とのつながり、記憶と忘却のテーマを織り交ぜながら進行し、最後には哀しみと希望が交錯する結末を迎えることとなる。
この作品の中で、強く惹かれた言の葉が以下になる。
「すすんで嫌われる必要もないけど、無理に好かれる必要もないじゃない。もちろん好かれるに越したことはないんでしょうけど、でも、好かれるために生きているわけじゃないじゃない。」
52頁 13行目より
これは、主人公が自己の在り方について考える場面であり、物語の中での成長を象徴する言葉として描かれている。わたし自身も、ときどき立ち止まって考える。どうして生きているのか、生きるとは何なのか、と。
特に、現代社会において評価者と被評価者がともに人間である限り、どれだけ数値を使って客観的に評価しようとしても、「好かれること」がプラスに働くのは避けられない。完全に主観に委ねているとは言わないが、最終的にはその印象に左右されることが、圧倒的に多いのではないだろうか。
義務教育のころから、そうした生き方に触れてきた気もする。それが良いとか悪いとか、結論を出したいわけではない。100%客観的な評価だけで生きていく社会も、それはそれで息苦しい。そんなことは、言われなくても目に見えている。
だからこそ、評価社会を少し俯瞰してみたときに気づくのは、「好かれること」自体が目的ではない、ということではないだろうか。むしろ、それは何かを達成するための過程であることのほうが多いはず。
正直、疲れた。好かれようと顔色をうかがってばかりの毎日に。かといって、「好かれなくてもいいや」と完全に割り切れるわけでもない。それではきっと、もっと生きづらくなってしまう。 だから、少しだけ肩の荷を下ろしてもいいのかもしれない。そんなふうに思わせてくれる言葉だった。いつも草食動物のように周囲を見張っていなくても、人生はなんとかなるのかもしれない。いや、なんとかなってほしい。ただ、それだけの願い。
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