歩くことでしか消せないもの

エッセイ

 雨が止んだ直後の街。時計の針は11を指す。さっきまで響いてた音は消えた。残るのは電灯の光とたまに通る車のヘッドライトが照らす道。僕は、自分の中にある何かを失いたくて、遠くで響く電車の音を頼りに、足を動かす。

 いつからだろう。こうやって、頭の中にあるものを失いたくて、彷徨い続けるのは。
 ある時、意識的に無意識になろうとした。
立ち止まるとまた思い出すから、止まれない夜。それの繰り返し。無意識になることで、一時的に”なにか”を失おうとする。
 時々、何かをしようとする行為がもう意識的なんじゃないかって思うこともある。
それでも、足音だけが、自分の証明をしてくれるように感じた。
雨が降った日は、その証明が強かった。
僕が産み出す足音についてくるように水の音が響く。遠くまで。

『忘れたい?本当に?』

誰かの声じゃない。音にならない自分の声が頭に響く。

『歩いても歩いても”なにか”から遠ざかるわけじゃないのに』

 そんなことはわかってる。物理的に遠ざかりたいわけじゃない。歩くことでしか消せないものがある。失えないものがある。証明されない自分がいる。
止まれの合図を出していた信号が青になる。
誰もいないのに、ちゃんと切り替わる。
規則正しいその感じが、自分の仕事を全うしている感じが、ちょっとだけ羨ましかった。

日常的に音が溢れている。常に騒がしいオーケストラが頭の中にいるように。良くも悪くも音を奏でる。

『胸を張って、頑張った?』

 頑張っている。自信を持てる。胸を張れる。
妥協してるわけじゃない。上を見上げるとそれはもう高い位置に空が広がっているだけ。もっと頑張れるでしょ。まだまだ足りないよ。って何を指標にしているの?
目の前のことに向き合って、頑張るのが当たり前なのに。空を見上げて、まだ飛べるね。ってそりゃそうでしょう。
 限られている時間で、飛べる高さには限界があるよ。そうやって、みんなが競い始めるから、飛ぶ高さがどんどん宇宙に近づく。
気づいた時には、寒くて、呼吸ができなくて。頑張っていたはずなのに、その路線から外れてしまう。飛べなくなることはそんなに怖いことなのか。

ふと、立ち止まってみる。
あぁ。
意外と何も壊れてないや。
何に恐れているんだろう。
今だって、胸を張っている。
……じゃぁ、次は、何を張ろうかな。

“なにか”を失おうとすると、”なにか”が鼓舞してくれる。まだまだ、捨てたもんじゃないな。
自分の中の信号が進んでいいよって示してくれた気がした。
 また、僕は、動き始める。

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